信田さよ子さん「世代間連鎖を考える」参加しました。

2017年7月13日(木)朝日カルチャーセンター(新宿住友ビル10階)19:00~20:30
信田さよ子「世代間連鎖を考える」

信田先生の講座を聴きに行ってきました。
スライドのタイトルは「世代間連鎖を防ぐために」となっていました。
当日は54名の受講者が参加されたようです。年齢層は高め(4,50代多そう?)で、ほぼ女性のみ。

ざっくりしたレポートを記しておきたいと思います。

精神科医など臨床の場での用語と、実際にネットや雑誌など一般の人たちが使っている言葉では
異なった意味合いで使われているとのお話があり、用語の説明から入っていきました。

子   →   親
 アタッチメント

    ←
 ボンディング

とくにアタッチメントという言葉。これは「愛着」を意味するのですが、
ともすると愛情が入っているかのように使用されているとのことです。

アタッチメントとは、子どもが不安を感じたときに養育者にくっつくことにより安全と安心感を回復するシステムのこと。

ここでいう養育者とは

・特定の人であればいい
・母親でなくてもいい
・親でなくてもいい

前回参加した講演会でも養育者には触れていました。
養育者は定期的に、ある場所に行けば会え、安心できる存在であればいいので、保育園の先生やおじやおば、太宰治でいえばタケという乳母さんのような間柄だそうです。

【アタッチメントの安定性】

安心感が蓄積 ⇒ 不安定な感覚が相対的に減少。感情をコントロールできるようになる。 ⇒ 他社への信頼感が育つ。共感性など。

【内的作業モデル】

Internal working Model は満2歳前後から構成される
自分と他者との関係性の心のうちにおけるイメージのモデル
養育者が子どもにとって「安全基地」の役割を果たせているかどうかでどのようなモデルが構成されるかが影響される。

内的作業モデルはPCにおけるデフォルトのようなもの。
この安全基地とは養育者であることが望ましいが、ペットやぬいぐるみなどの場合もある。

【アタッチメントの様々なタイプ】
安定型
アンビバレント型
回避型
DC(Disorganized)型
 自分を危険にさらすタイプ
 抑制されたタイプ
 脅迫的な順守タイプ
 役割逆転タイプ

安定型は読んで字のごとく。
アンビバレント型は気持ちと行動が逆で、「こんなに怒るのはあなたのためを思ってやっている」というようなことや、男の子が好きな子に意地悪するとか。
回避型はまるで感情がないように接する。

自分を危険にさらすタイプは、現代に多い子供におびえる親など。逆に切れて暴力をふるったりとか。
「一生懸命離乳食をつくったのに、何で食べないんだー!と切れたりする。
抑制されたタイプは、何でも親の言うとおりで手がかからない子だったりする。
脅迫的な順守タイプは白か黒か、間違ったことはしたくないというタイプで車が一台も通らないのに赤信号なので道を渡ってはいけないと思うようなタイプ。
役割逆転タイプは、子どものほうが親のようにケアするようなタイプ。

DC型の自分を危険にさらすタイプ以外は、世間的には良い子とされることが多い。

世代間連鎖の理解における重要な点とは?

・決定論に陥らない。決まっている、そうなってしまうと思わない。
・短絡的な因果論で結論付けない。ああいう親だからこうなった、虐待されたから仕方がないとか。
・社会的・外的要因を重要視すること。(脱心理主義)

私は両親が仲が良いとは言えず、結婚に対して特に良い印象を持っていなかったのと
自分が子供をかわいがったりできないような気がして、子どもを持ちたいなんて思わなかったし
愛情ある人たちだけが子供を持てば、愛をたっぷりもらえる子供が増えるし、いいんじゃないかぐらいに思っていました。

父や母の育ちや性格にかなり影響があると思っていて
今も「自分の代で嫌な思いは終わらせる!」という考えがあります。

これも世代間連鎖という短絡的な結論付けなのかもしれない。

世代間連鎖という言葉が生まれた歴史的背景とは

世代間連鎖という言葉がメジャーになったのは1990年代から。
1980年代まではそのような言葉はなく、1987年に発行された池田由子著「児童虐待―ゆがんだ親子関係 」で「悪循環」という言葉で表現されている。
「世代間連鎖」という言葉はアメリカの言葉を翻訳したもので1990年になり新聞などマスメディアで児童虐待が注目されるようになり、この言葉も認識されるようになった。

やはり新聞は落としどころがあるほうが記事になりやすく、ひどい虐待がある家庭の虐待してしまう親も実は幼いころ虐待されていた・・・となればわかりやすく納得できるので広まりやすかった。

虐待を背景に世代間連鎖という言葉が広がり、1996年からメジャーになったAC(アダルトチルドレン)でも広がりを見せる。
ACは、自分は親から虐待されてきたんだと認めた人たちのこと。証言者であると信田さんは表現していました。

内的作業モデル=世界に対するイメージ のクセを知ることが大切

・どんなイメージを持っているか
・他者に対して抱きがちなイメージはどんなものか
・認知行動療法における「スキーム」と同義。
 考え方・世界観・他者観のクセや習慣を自覚すること

このスキーマとは私たちがかけているメガネのようなもの。
レンズがピンクなら世界はピンク色に見えるし、暗ければ世界は暗く見える。

ここでDV加害者プログラムの人たちの例を挙げて解説してくれました。
彼らは単純で、妻だけは自分をわかってくれるなどと考えている。

被虐待の人のスキーマは入り組んでいることが多い。
信田先生はアートセラピーに興味がないようですが、子どもは絵などを描かせるとすごくわかりやすいとのことです。

ちょいちょい信田先生の主観が入っていてお話が面白いです(笑)

まずこの自分のモデルやスキーマなど世界観や他者観を自覚することが大切。
以前、その後はどうするんですか?と質問があったけれど信田先生は自覚すればOKという考え方だそう。

【いくつになっても大切なこと】

・幸福感より安心感
・Safety Placeを持つ
・安全基地を確保する
・安定的で安心できる他者(養育者でなくてもいい)はだれか
・たった一人ではなく、広く分散してもいい

この安心できるというのはほんの2、3秒で、幸福感はともすればアディクションになりがち。
この安全基地を確保するというのは特に子供に対しては必要なこと。

【トラウマへの脆弱性】

・同じ出来事を経験しても反応が異なることがある
・安全基地を内部(もしくは外部)に持っているかどうか
・トラウマ的経験の「その後のフォロー」があるかどうか

ここで、講座のあった日に性犯罪を厳罰化する改正刑法が施行され、このことに言及

【社会的背景】

・孤立
・経済的貧困
・知的貧困(文化的貧困)
  
 イメージ・言葉・知識の貧困が安全・安心感の乏しさにつながる。
 そしてそこから発生する暴力となる。

【世代間連鎖を防ぐには】

・安心できる他者との関係を築くこと
・安心できる集団(グループ)に所属すること
・安心とはどんな感覚かを学習すること

「それができなくて悩んでる人が多いんです」と言われてしまうと、まったくもってその通りで・・・
と信田さんもおっしゃっていました。

自分のクセや習慣(イメージ・認知・対人関係)を知り、修正するように習慣づけることが大切
自分のクセに気づいたり修正したりするのにサイコドラマはおすすめだそうです。

【育成歴の振り返りの意味】

・親との関係を語る(書くなら人に読んでもらう前提で書く)
・それを聞き、読んでくれる人を持つ
・支持し共感してくれる人(グループ)を持つ
・何が、誰が助けになったのかを知る

虐待等の世代間連鎖があると悲劇化するのは簡単だけれど・・・

やはりフォローがあるかどうかでその後がかなり違ってくる
何が助けになったのかを知ることもすごく大切
 近所の人、叔父・叔母、ペット、本である場合も

信田先生は本屋さんの子供だったそうで小学生から太宰治や週刊実話なども読んでいたそうです。
「当時はルビがふってありましたからね」とのこと。ぐんぐん文字が読めるようになったらしい。

そうやって硬派なものから軟派なものまで読んで世界は白黒はっきりしたものではなく
グラデーションなんだと学んだ。だから本は読んだほうがいいとおっしゃっていました。

こうして世代連鎖というテーマで話してきたけど
世代連鎖という言葉はなくてもいいのではないか、とのこと

ただし、暴力は連鎖する率がすごく高いとの話でした。
信田さんはDV加害者プログラムもされているということもあり、実感としてその確率の高さはすごいものがあるようです。
あとは参加者の方からの質問と意見表明?があり、講座は終了。

「世代間連鎖を考える」受講後の感想

私も「家系のクセのようなものは引き継ぎたくない」という強迫観念にも似た思いがあったのですが、それ自体が「世代連鎖」という言葉を認識したせいもあるのかなと思います。
いずれにしてももう一度育成歴を振り返り、誰のおかげであるいは何と出会って助けられたのか、また、自分はこういう未来をつくっていきたいんだと再認識したいとおもいます。

家族の問題を考えるなどの場ではフェミニズムを強く感じる場面が多いように思います。
信田先生というよりは参加者の雰囲気として。
うまく言語化できないのですが、その圧力の強い感じが私の苦手に感じる空気だなあと思いました。

ピアサポ祭りも参加して見ようと思うのですが、今からちょっと不安。
でも、実際に体験してみないと何とも言えないので行ってきます。